ご案内

妙典寺の歴史

正式名称

現在は「みょうてんじ」と読んでいますが、
瑞祥松林山ずいしょうしょうりんざん 大乗院妙典寺だいじょういんみょうてんじ
が正式名称です。

歴史

 宗派は日蓮宗にちれんしゅうです。日蓮宗は、山梨県の身延山みのぶさん久遠寺くおんじを総本山に仰ぎます。当初は円理院えんりいんと称し、永徳元年(1381)、筑後柳川に創立されました。過去帳に依れば、開山は本成院ほんじょういん日円にちえん上人とあります。

 慶長8年(1603)、第18世、戒光院かいこういん日秀にっしゅう上人の代に、薦野こもの増時ますときによって現在の境内地が提供され、博多に於ける法華経の道場として、また薦野家の菩提寺ぼだいじとして再出発を図ることとなりました。現在の本堂と山門は天明5年(1785)、第32世、本妙院ほんみょういん日定にちじょう上人時代の再建です。

当山のご紹介

ご本尊

 写真の真ん中に写っているのが、日蓮宗の開祖である日蓮聖人にちれんしょうにんです。写真上部に写っている、四角い額縁に納められているのが、ご本尊ほんぞんである大曼荼羅だいまんだらです。

 寺院において、本尊を安置する場所を須弥壇しゅみだんといいます。仏像等を安置するために一段高く設けられています。古代インドの思想で、世界の中心にそびえる聖なる山、須弥山しゅみせんに由来します。日蓮宗寺院の須弥壇は、宗祖である日蓮聖人が書き顕された大曼荼羅だいまんだらご本尊を基本として配列されています。但し一様ではありません。

大曼荼羅

 日蓮聖人が書かれた大曼荼羅はこちらです。妙典寺の納骨堂2階には原寸大の複製版が掲げられています。内容については別途解説を予定しています。

お守り・お札

 各種用意しておりますので、当院にお越しになられた際は住職までお声かけ下さい。

別院について

名称:西門さいもん 鬼子母神きしぼじん

所在地:博多区千代2丁目18-16

 妙典寺から歩いて約5分のところにあります。
 江戸時代中期に当地にあったとされる別院「得船庵とくせんあん」を、現在の住職が平成18年(2006)に再興。法華経行者の守護神たる鬼子母神を勧請し、「西門 鬼子母神」と名付けました。大正10年(1921)に地元住民によって祀られた徳泉とくせん地蔵と共に、法華経による子安祈願・水子供養の道場として拠り所となっています。

石城問答の地

 今から約400年前、日本がアジアだけでなくヨーロッパ諸国との貿易が盛んになったころ、それに便乗するような形で急増していくキリスト教信者に危機感を感じた徳川家康は、「禁教令」を出しました(1612-1613年)。当時のキリスト教の影響力は絶大で、日本古来の文化が失われてしまう可能性があったのです。九州は貿易の中心地であったこともあり、キリスト教の布教活動が一層盛んでした。
 妙典寺が建てられはのはちょうどその頃であり、福岡藩にとって歴史的に重要な「石城問答」が、妙典寺で行われました。
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